a3103106u’s diary

つぶやき

映画「サマー・ヴェンデッタ」

1960年にボドム湖で起きた未解決の殺人事件の謎を推理するために状況を再現するとかいう理由で4人組の若者がキャンプするわけですが、こいつらの思考が理解できない。

 

謎の推理に励むバカが事件の状況の再現を企んでいるわけだが、被害者と体格が似ているという理由で人を誘うわ、殺人犯が今も森に潜んでいるかも知れないと考えつつ「その殺人犯が今も潜んでいるかも知れない森にキャンプすることを思いついて、他人を巻き込んで敢行する」あたり、まともな神経ではない。

 

んでもって主人公に至っては、なんやかんやあって些細な疑問を感じるも、やらかした後で疑問について確認するという「バカなの?お前…」としか思えない手遅れ的思考。

 

閑話休題

生き残った主人公の証言から警察が必死に真犯人と思われる犬を連れた大男を捜索するが見つからず。

そもそも大男など存在しない。彼女の心は壊れていたのだ…錯乱していたのだろう。

…と、ラストが締めくくられており、巷じゃ幻覚オチだのなんだのと言われているが、ひねくれた俺はこう考える。

 

犬を連れた大男←これ。

 

あくまでも「大男とは、主人公が男を見たときの印象であって」実際に大男とは限らないってこと。

そして、警察が「文字通り、誰が見ても大男だと思える体型の男だけを探していたとしたら?」

そりゃ、犯人が「大男ほどではない体格の男」なら、警察がいくら必死に捜索しようが「大男しか」探していない以上、捜索条件から外れる(アウト・オブ・眼中)わけで、盲目的な警察には永遠に見つけられるわけ無いわな。

 

そもそも大男など存在しない。

いたのは「主人公には大男のように見えたが実際には大男ほどではない体格の男」だったのだから…。